【訃報】山本寛斎さんが死去 これまでの経歴や家族は?

山本寛斎さん死去 3月に急性白血病発症から5ヶ月で旅立つ

国際的なファッションデザイナーでイベントプロデューサーとしても活躍した山本寛斎(本名=やまもと・のぶよし)さんが21日、急性骨髄性白血病のため76歳で亡くなっていたことがわかりました。
次女の未來さん(45)はこの日、自身のインスタグラムで訃報を発表。
「私を含め家族が看取る中、安らかに76歳にてこの世を旅立ちました」と報告しました。
寛斎さんは今年2月に急性骨髄性白血病を発症し、3月31日に病名を公表。
「これからも世界中の人々に元気をお届けするため、『スーパー元気な山本寛斎』になって必ず戻ってきます!」と誓っていましたが叶えることはできませんでした。
所属事務所によると、すでに親族で葬儀は済ませたそうで、今後、お別れの会は新型コロナウイルスの状況を見ながら検討しているそうです。
日本だけに留まらず、その大胆なファッションセンスで世界を驚かせてきた山本寛斎さん。
あの太陽のように輝く姿がまた見られなくなってしまったかと思うと寂しいですね。

山本寛斎さん、快進撃の経歴と世界中で愛されたファッション

7歳の時に両親が離婚し、父親の育児放棄により高知の児童養護施設に入れられるなど、過酷な幼少期を過ごした寛斎さんがファッションに興味を持ったのは、父が洋服縫製業を始め、縫製の手伝いをしていたことがきっかけでした。
中学生にしてミシンを踏むことができたそうです。
大学進学のために上京し、横浜で洋裁教室をしていた実母と再会し、装苑賞の存在を知り応募。
1967(昭和42)年に「装苑賞」を受賞し、本格的にデザイナーを志します。
その後コシノジュンコさん、細野久さんなどの有名デザイナーの下で働いた後、1971年に独立して、株式会社「やまもと寛斎」を設立しました。
同年、日本人として初めてロンドンでファッションショーを開催し、その後もパリやニューヨークなど欧米での活動を広げていきます。
その課程で、デビッド・ボウイさんや、スティーヴィー・ワンダーさんら世界的アーティストとの交流を深め、日本だけでなく世界からの注目を集めました。
2016年、レディ・ガガさんがグラミー賞で着た衣装は、1973年にデビッド・ボウイが着たものと同じデザインです。
和のテイストを取り入れたアバンギャルドな寛斎さんのファッションは、世界中から愛されました。

山本寛斎さんを惜しむ声続々と…

異母弟である俳優の伊勢谷友介さん(44)は、インスタグラムで病床の寛斎さんから「俺の生き方、どうだ?」と聞かれ「凄いです。世界のファッションに早くから挑戦して、イベントの演出家として大きなショーを現実にしたこと」と返答したことに「最後までカッコよかった」と偲びました。
布袋寅泰さん(58)もインスタで「会場ですれ違う多くのビッグネームアーチストから、『その衣装素晴らしいね』と声をかけられた。心の声で『だって山本寛斎だもの!』と誇らしかった」と綴り、「いつも燃えたぎるようなエナルギーを見せつけてくれて、ありがとうございました。天国でデビッドさんと久しぶりに踊ってください」と悼みました。
また、KinKi Kidsの堂本光一さん(41)は、「とにかく豪快な方で、『やれる事は全部やろう、あなたの武器を全部下さい』と言われた」と思い出を語っています。
ライフワークでもあった、2015年から開催が続いている「日本元気プロジェクト」は、寛斎さん亡き後も、寛斎さんの意志を継いで、今年も7月末に配信という形で開催されるそうです。
多くの人が寛斎さんの明るさやダイナミックな発想に魅せられてきましたね。
ご冥福をお祈りします。

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