【訃報】浅香光代さんが死去 若い頃の活躍ぶりや息子は母に何を語る?

浅香光代さん、膵臓がんで死去 余命3カ月宣告、病名伝えずに緩和ケアを選択

昭和30年代に「女剣劇」で一時代を築き、その後も映画やテレビなどで活躍した俳優の浅香光代さんが、13日すい臓がんのために、東京都内の病院で亡くなりました。
92歳でした。
通夜は16日、葬儀・告別式は17日に東京・浅草の円照寺で近親者のみで営むようです。
個人事務所の代表で次男の北岡昭次さん(66)によると、浅香さんは軽い認知症があり、今年10月に都内の施設に入所。
その直後に体調を崩して検査したところ、ステージ4の膵臓がんが見つかり、余命3カ月と宣告されたそうです。
高齢であるため、ご家族は抗がん剤治療は行わず、緩和ケアを選択。
治療中、病名を伝えなかったため浅香さんは自身の病名を知らずに旅立ちました。
戦後流行した女剣劇の第一人者で、「ミッチー」の愛称で親しまれた浅香さん、昭和のスターがまた1人旅立たれたことは寂しいですね。

浅香光代さん、14歳で座長に。若い頃から波乱万丈の人生

浅香光代さんは9歳の時に劇団新生国民座に入り、座長の浅香新八郎から芸名「浅香光代」をもらいました。
ところが、1944年に座長が急逝し劇団は解散。
担ぎ上げられる形で、女剣劇に転向し、14歳の時に「浅香光代一座」を発足させることになりました。
戦後、浅草を中心に活動し、1950年代後半からの女剣劇全盛時代には、大変な人気者になりました。
女剣劇が衰退に向かうと、俳優として舞台、映画、テレビに出演し、お茶の間でも馴染みの芸能人としての地位を確立していきます。
90年代後半に、野村沙知代さん(享年85歳)と巻き起こした「ミッチー・サッチー騒動」は、まだ記憶に残っていますね。
80歳を過ぎても元気で、2010年にはプロレス団体「MAP」の旗揚げ戦に参戦し、高山善廣さん(54)と対戦するなど、衰えることなく芸能活動をされていました。
10月に施設に入所する直前まで、浅香流家元として殺陣の稽古に出席したり、NHK-BSでのインタビューを受けるなど(今月放送予定)、精力的な活動を続けていたそうです。

浅香光代さん息子語る「母の一生は何の後悔もなかった。大往生でした」

浅香さんは、私生活での男性遍歴を語ることも多く、「恋多き女」としても有名でした。
著書で「私は医者と代議士に弱い」と明かし、深い関係だった政治家は3人いたとも書いてあります。
20代で隠し子を出産したことも公表。
父親は大物政治家としていましたが、最後まで実名は明かしませんでした。
1972年に結婚した実業家の吉田博士氏とは、87年に死別しましたが、92年にコメディアンの世志凡太さん(86)と挙式し、事実婚生活を送っています。
次男の昭次さんは「自分は隠し子でしたが、その私から見ても、母の一生は何の後悔もなかった。大往生でした」と、浅香さんの人生を誇らしげに語っています。
女手一つで2人の子供を立派に育てあげ、自由奔放に生きたその生き様は素晴らしいですね。
それだけに、もう「あたしゃね」という気っぷの良い姿が見られなくなってしまったのが残念です。
ご冥福をお祈りします。

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