【訃報】なかにし礼さんが死去 交友関係や私生活がスゴかった…

作詞家&直木賞作家、なかにし礼さん死去 時代を彩った名曲を作った人物がまた1人

「北酒場」「石狩挽歌」など数多くのヒット曲を手掛けた日本歌謡界を代表する作詞家で直木賞作家のなかにし礼(中西禮三=なかにし・れいぞう)さんが23日、東京都内の病院で亡くなりました。
82歳でした。
死因の発表はありませんでしたが、1カ月ほど前に持病の心疾患で入院していたそうです。
なかにしさんと言えば、数々のヒット曲を作詞した昭和を代表するヒットメーカー。
作詩の他に、執筆活動もされていて、映画やオペラの製作でも活躍しました。
また、テレビでは辛口のコメンテーターとして、お茶の間でもお馴染みでしたね。
今年は、6月11日に服 克久さん(享年83歳)が、10月7日には筒美京平さん(享年80歳)、また12月20日に中村泰士さん(享年81歳)と、同年代の偉大な音楽家が相次いでお亡くなりになりました。
時代を彩った名曲を生み出した方々が今年はこんなにも多くお亡くなりなってしまったことに、寂しさを感じますね。

なかにし礼、華麗なる交友関係

なかにしさんは、角界の著名人と華やかな交友関係がありました。
なかにしさんが「大恩人」と語っている石原裕次郎さんは、作詞家として成功するきっかけを作った人物です。
なかにしさんは大学時代にシャンソンの訳詞を手掛けていましたが、その頃裕次郎さんからホテルで偶然声をかけられ、「俺の歌を書くぐらいの作詞家になれ」と激励されたそうです。
これを機に、なかにしさんは歌謡界に進む決心をしました。
「憧れだった」という美空ひばりさんを親しくしていたり、プロ野球・巨人の終身名誉監督の長嶋茂雄さん(84)、元東京都知事の石原慎太郎さん(88)、なかにしさんの著書「兄弟」のドラマに主演したタレントのビートたけしさん(73)ら、さまざまな方面の方と親交があるのは、なかにしさんの親しみやすいお人柄があってこそのことでしょう。
昨年は、仕事をしたことがなかった矢沢永吉さん(71)から「今度のアルバムが最後になるかもしれない。最後の歌はなかにしさんに書いてもらいたい」と依頼され、「いつか、その日が来る日まで…」という詞を提供しており、新たな関係を築きました。
最後の最後まで、言葉での表現に力を注いだ人生でしたね。

なかにし礼、私生活では酒好き、女好き

なかにしさんは、私生活は酒好き、女好きで有名な方でした。
銀座では、よく飲み歩く姿も見られたそうです。
女帝と呼ばれた有名なママとの恋模様は芸能ネタとしても広く知られていました。
また、美空ひばりさんと「恋愛関係だった」と、ご本人が冗談交じりに明かしたこともあります。
綴り続けたドラマチックな作詞の中には、実体験が含まれているものも多いのではないでしょうか。
旧満州(現中国東北部)出身で、外地から北海道に引き上げてくる時には何度も命の危機を感じ、体験した幼少期の赤貧体験。
激動の時代を生きた体験と思いは、手掛けた作品4000曲の中に込められ、これからも歌い継がれていかれることでしょう。
ご冥福をお祈りします。

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